ジョン・ウィック チャプター2

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John Wick: Chapter 2 (2017)


いつの間にかキアヌ・リーヴスが枯れた魅力を出す渋い男になっていました。時おり見せる無垢な瞳がまた素敵で、前作も今作もかっこいいぞ。1作目ではヘッドショット一発で敵を仕留めるのを見るのが多少抵抗あったんだけど、そのあと「エンド・オブ・ホワイトハウス」のマイク・バニング見たらだいぶ慣れた。バニングとジョン・ウィックが組んだらすごそうだ。

ストーリーはあるのかないのか見ててもよく分からん。そんだけガンアクションがすごかった。キアヌは銃を構える姿勢はまぁまぁかな……もう少し背中がまっすぐ伸びてもいいような。でも弾をリロードする姿は世界一かっこいいのではないかと!補てんする弾も無くなったら最後は銃そのものを敵にぶん投げるのもすごく好きです。
こういう映画にはお約束の台詞、"kill them all"も出てきて満足です。あ!あと防弾ベストならぬ防弾スーツはかっこいいな、便利だなって思いました。「キングスマン」でいうハリー・ハートの傘みたいな感じで。


あのねこの映画の何がいちばんかっこいいってルビー・ローズ演じる手話でジョン・ウィックと会話するアレスですよ!特に最後の「また会いましょう」「もちろん」はしびれました。だってアレスはもう死ぬと分かっていてジョンに「また会おう」って言ってるのよ。そしてジョンもそれを分かっていて"Sure."と返事をするなんて、もう最高かよ。

しかしラストは世界中の殺し屋たちから追われて今まで使えたコンチネンタルホテルも出禁になっちゃって、ジョンはこれからいったいどうなるんだ。逃げ切れるんだろうか?これ当然続編あるんですよね?気になって仕方ないのでぜひ続きをお願いします。



人生に乾杯!

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Konyec (2007)


年金生活で金に困ったおじいちゃんが銀行強盗をする話。途中からは妻のおばあちゃんも加担。ハンガリー映画。
主人公のおじいちゃんがユーモラスであり、昔若いころは公安警察の運転手だったという一筋縄ではいかない経歴の持ち主でもあり、そこがストーリーにピリッとしたスパイスを利かせていて、面白くもほろりとくる部分もあり、こういうの大好き。未見ですが今公開中の「ジーサンズ」にも似てるかなとも思ったし、後半は「ノッキン・オン・ヘヴンズ・ドア」(1997)に似てるなとも。

もともとさきゆきの短いお年寄り。強盗するにも開き直っちゃってて怖いものはもうありません、的なひょうひょうとした雰囲気を醸し出しているのがこの映画を重いものにしなかった勝因かな。堂々と銀行に押し入って脅し文句を言う夫に妻が惚れ直したり、彼らが同じように少ない年金で苦しい生活を強いられているお年寄りのあいだでいつのまにかヒーローになっているのも可笑しかった。


そして追われる老夫婦と追う警察の人間がどちらも男女のカップルになってて、エミルとヘディのふたりは若いころに一人息子をなくしており、ふたりを追う若い女性刑事のアギは妊娠中。エミルがちょっとだけ火遊びしたことをヘディは咎めることなく流しておしまいなんだけど、アギはが売春婦と遊んだ恋人のアンドルが許せない。この辺の対比が面白い。
人質に取ったアギを開放する際にヘディが言う「(生まれてくる子供を)大事にしてね。かけがいのないものよ」という言葉は子供を亡くした経験をしている彼女しか言えない、他の誰よりも重い言葉だと思いました。ここはほんとに泣けた……。

罪を犯して逃走劇を繰り広げたラストは悲劇になるのが多いですが、苦しい時代を生き抜いたふたりがそう簡単に自爆の最期を選ぶわけもなく。はっきりとは明かされませんでしたが、きっとふたりはあのあと海にたどりついて、海岸で手をつなぎながら水平線を眺めているはず。


ヨーロッパが舞台の映画は年代が遡れば遡るほど、東へ行けば行くほど室内が暗くなり物が少なかったり古かったりするねぇ。


暗くなるまで待って

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Wait until Dark (1967)


これすごく怖くてでもとても面白い話でした。終盤での部屋の中が真っ暗になるシーンは、本当に本当に真っ暗。画面がぜんぶ真っ黒。なにひとつ見えない。何が起こっているのかまったく分からなくて。今だったらわずかに人の陰が分かる、くらいの暗さで怖さを煽ってくるんだろうけれど、多分当時の撮影技術ではできなかったからかもしれないせいか、本当に画面が何も映ってないただの黒ってかえってめちゃくちゃ怖い。真っ暗闇の中で犯人に追い詰められた盲目の女性、スージー(オードリー・ヘプバーン)の悲鳴だけが聞こえ、彼女はどうなったの!?殺されてしまったの!?とほんとにハラハラドキドキさせられました。
目が見えない代わりに彼女の武器は音。夫の友人や警察を装って部屋に入ってきた男たちが、スージーには見えないから分からないだろうと思ってやっていたことを実は彼女は全部"お見通し"ならぬ"聴き通し"とでもいえばいいのか、どうして手すりや冷蔵庫、ブラインドの紐を掃除しているのか(男たちが自分の指紋を拭き取っていた)、なぜ冬なのに何度もブラインドを開け閉めするのか(外で見張っている仲間を確認するため)、ロート親子が同じ靴を履いているのはなぜなのか(同一人物がロート父とロート息子のふりをしているだけ)、と、彼女は鋭い聴覚だけで状況を判断するわけで。そして男たちとスージーを観客のわたしたちだけが両方見ることができる、という面白さ。スージーは見えなくて怖いけど、わたしたちは見えるから怖い。
家じゅうのライトを消して回って、犯人には見えない、分からないだろうと思ったら、家の中でたったひとつ明かりが残っていて、それは冷蔵庫の中の明かり、というのも、特別な品ではなく、どの家にも必ずある日用品ってのがまたとても親近感と恐怖感をあおってくれました。
電球を外しては床に落として割るっていうのは室内でも靴を履く生活だからできることだなーって。日本じゃ無理だ。
あと犯人たちがスージーをだますためとはいえ妙に芝居上手でちょっと可笑しかった。
オードリー・ヘプバーンのあまりにも長い睫毛はもちろん(瞬きしたらバサバサ音がしそう!)、人形を運んで殺されてしまったリサ役の俳優さんもバービー人形みたいな容姿でとってもゴージャスでした。
そしてほぼスージーの住まいの中で話が進むので、舞台を見ているような映画でもありました。というか私は今猛烈に舞台が見たい……ロンドン……ニューヨーク……。

しかしこのスージーの写真家の夫が彼女に冷たすぎやしないですか? 中途で失明した妻を叱咤激励してくれてるんだろうけれど、盲目のチャンピオンを目指すんだ、とか、いずれ俺のスタジオまでひとりで行けるようにならないと、とかさー、すごい上から目線でイラっとしちゃった。もうちょっと妻に優しくしろよって思っちゃった。


目が見えない人が主人公の映画って他にもいくつかありますが、最近だと「ドント・ブリーズ」かな? 他には「瞳が忘れない/ブリンク 」、「セント・オブ・ウーマン/夢の香り」、「ブラインド・フィアー」など。探せば他にももっとありそう。目が見えないことをハートウォーミングなドラマに仕立てるかスリラーに持っていくか。私は断然後者が好み。


G.I.ジェーン

G.I. Jane (1997)

この映画のデミ・ムーアはtoo muchだよなぁ……と思うのですが他の人、特に女性の感想はどうなのだろうか。ヴィゴが出てなかったら絶対観てない。だから2度目の視聴だけどやっぱりヴィゴしか観てなかった(笑)。なんだろう、この映画でデミは強い女性、男性と同等になれる私、を演じたかったんだろうか。女性のマッチョイズムというか。ついでに言うとこの辺はジェニファー・ロペスにも似たものを感じる。もちろんこういう強い女性を好む人もいるとは思うんですが。私は男性/女性、お互いできることをしてできないことは助け合って生きていけばいいじゃんって考えるので、できない、もしくは不可能なものを性別が理由でむりやり求められる状況だとしたらそもそも最初からその基準は間違っているんじゃないかと思うのですよ。
海軍の特殊部隊SEALsはこの映画で描かれたようにそうとう厳しい訓練と最終テストをクリアしないと入れないんだろうけれど、どれだけ厳しくても女性が志願してきたら最初から拒否せずにまずは門を開けばいいと思うんだけどな……でもマスター・チーフ(ヴィゴ)の言う通り、女性であるという理由で作戦の足を引っ張ったり他の隊員も巻き込んで犠牲になるなら女が入るのは迷惑、という考えも分からなくはない。じゃあいったいどうすりゃいいんですかね?こういう命題に明確な答えや解決法を見つけるのは難しいですね。
チーフは確かに鬼軍曹だしめっちゃくちゃ厳しいけれど、仲間であるオニール(ムーア)を疎ましく思って彼女を助けようとはしない他の候補生に対しては、容赦なく叱責したり海に突き落としたりするのは男女関係なく公平だよね?
終盤の、全員が訓練生の身分なのにいきなり実戦に出ることになって、チーフが負傷したものの無事任務を終えて帰還するってのはそれはさすがにないだろうとは思いましたが、無事最終テストに合格したオニールのロッカーにD.H.ロレンスの詩集が入っていたのはちょっとぐっときました(もちろんその詩集を置いて行ったのはマスター・チーフ)。
でも彼女を巡るワシントンでの政治的駆け引きは結局どうなったんだとも思うし、わりと都合よく終わった映画だった……。

全体的にシリアス調ですが、実地訓練でどろどろに疲れているところに座学で作文の時間が入れられて、おまけに薄暗い部屋の中にチーフの意地悪な計らいでスローテンポのオペラが大音響で流されたら、そりゃ訓練生のほとんどが寝るよねっていう。このシーンには爆笑だった。


スナイパー・ヴィゴ!

あとなぜか実地訓練の設備の中にある、木の板で作られた模擬の壁に「終」って書いてあるんですよ。漢字で。

なんで漢字なんだ。


ところでこの映画ってジム・カヴィーゼル出てたんですね!まったくノーマークだったので慌ててimdbを確認してきました。ものすごくびっくりした。女が入ってきたぜってオニールに対してあれこれ絡んできたり嫌味を言ったりしてたんだけど、訓練中の自分の行動のせいで全員が捕虜になる原因を作ってしまうけっこうなバカ野郎でもあるんですが。拷問を受けても屈しないどころかマスター・チーフをフルボッコにしたオニールを見直したスロヴニック(カヴィーゼル)はそのあとバーで彼女に向かって困ったような顔をしながら素直に謝って。その表情がね、やだなにそれかわいい!それ以降はいつも彼女の後ろで見守るようにそっと立っているのがまたいい感じで(背が高いからそういう風に見えるだけなんだけどここは都合よく解釈させて~)。

ヴィゴとカヴィーゼルが共演してるという事実を知ったら内容はともかく私にとっては突如美味しい映画になった。

シング・ストリート 未来へのうた

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Sing Street (2016)


ジョン・カーニーから若い人たちへの、前へ進め、夢を追え、という熱いメッセージが込められた映画でした。だからそれを副題でバラしちゃいけないと思うの。

「これは君の人生 どこでも行ける
 これは君の人生 なんにでもなれる」
「今でなければ いつ行く? 探さないで何が分かる?
 決して後ろを振り向くな」

105分という短い映画の中でいちばん言いたかったことが全て歌詞に載せられているのがジョン・カーニーらしさであり、そして私は前2作ほどはこの映画に心打たれることはなかったけれど、でもそれは自分が親になり、自身の子供たちの未来や将来を楽しみにしつつも憂いや心配も抱える立場になったからかな、とも思った。でもそれでいいと思う。夢を追って無茶をする若い人たちの後ろには、ハラハラしながらも見守っている親もまた必ず存在するのだから。

この映画で何が泣けたって、体育館でのMVを撮影するシーン。コナーの中では、その体育館はエキストラの人たちに説明したような「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の50年代のダンスシーン。フルーツポンチが置かれた机、華やかに飾り付けられた舞台、衣装をそろえたバンドのメンバー。華やかな衣装で踊る高校生たちの中で、ひときわ美しいラフィーナ(ちょっとヘイリー・アトウェル似だ)が現れ、パーティの様子を見に来た校長はダンスやバンドに理解ある先生で(あの長いローブ姿での側転、思わず拍手喝采!)、コナーの両親は仲睦まじく手を取り合って踊り、バイクに乗って現れた兄貴は校内でワルだけど人気者(赤いジャケット姿に、喧嘩相手にナイフを取り出すのはまんまジェームズ・ディーンの「理由なき反抗」ですね)。けれど、現実はそうではなくて、両親は離婚寸前だし兄は夢を諦めている。そしてMVの撮影に約束したラフィーナは最後まで現れることはなかった。だからコナーの思い描いたパーティの様子は儚い夢のような世界で、これはもう号泣でした。


ラスト、小さな船でイギリス目指して海を越えていこうとするコナーとラフィーナ。冬の荒波の中、あんな小さなボートで本当にたどり着けるのか、私はものすごーく不安で。でもこの先どうなるのか分からないまま画面は暗転して映画はそのまま終わってしまったのですが。
エンドロールで、スタジオで録音の様子が声だけ聞こえてくるんだけど、それは映画の冒頭、いちばん最初に完成させてMVを撮った曲なのですね。だからコナーはイギリスに渡った後プロとしてデビューしたんだと思う。私はそう解釈しています。