はじまりへの旅




Captain Fantastic (2016)


とてもとても考えさせられて、そして胸にずっしりと響きました。子供を持ち、子育てをして、これでいいのかな、とかこれが本当にベストな道なのかとか、迷わなかったことが一度もない親なんていない。この映画のお父さんベンも悩んだり迷ったりして選んだ道はとてもとても極端だけど、たくさんある選択肢の中からほとんどの人は選ぶことのない、森を買ってその中で生活して学校には行かず自宅学習をするという道を選んだけれど、子供たちは他の選択肢を知らないし選べない。周りの人たちは「学校に通わせていないなんて」、「みんなと同じことをしていないのは間違っている」「子供たちがかわいそう」とい言ってくるけれど、いいか悪いかを判断できるのは誰だろう?とも思う。

家族みんなが住むところにあるのは、とにかくたくさんの本、本、本。ベッドがあるテントの中にも、スティーヴと名付けたバスの中にも、たくさんの本。お父さんは本から得られるものに重きをおいていて、子供たちにはちゃんと自分の言葉で説明しろ、と言う。そして"interesting"(興味深い)は使っちゃいけない。きっと抽象的で便利な言葉だからつい使っちゃうんだろうね。でもそれ分かる!「すごい」「面白い」「興味深い」「よかった」あたりで終わらせてはダメなんですよね。もーすごいよく分かる。
そういう考えのお父さんだから、ベンは相手が何歳の子供であろうとも包み隠さずすべて話して説明する。お母さんが自殺したことも。興味があることは何でもやらせる。だから妹夫婦の家で出されたワインに興味を示したら未成年でも飲ませちゃう。それ見たらふつうは顔をしかめたり怒ったり問題ありとみなされるだろうし児童虐待で警察に通報されそうになっちゃうけれど、しかしベン側がすべて悪いのだろうかと疑問にも思える。


なんとしても妻の遺体を取り返したい、土葬をやめさせたいベンが墓場へ押しかけようとするのを子供たちは必死になって止めようとするその時の言葉、「お母さんが死んだのに、この上お父さんまで失ったらぼくたちはどうすればいいの!?」の叫びはベンの心にぐっさりと刺さったはず(私はここ号泣した)。子供たちにはお父さんが必要。そして同じくらいお母さんも必要。それを痛いほど実感したに違いない。おそらくベン自身は多分一生森の中で生活してもやっていける人物。妻を亡くし、もし子供たちがいなかったらこの人あっさり世捨て人になっちゃうだろうね。欲のない人だと思う。
文明社会から離れて森の中で生活して6人の子供たちを立派に育て上げることは、ベンにとって妻のレスリーが病気から快復するようにと一種狂信的な願掛けのようなものだったのかもしれないね。だから彼女の死で今まで必死でやってきたエネルギーがふっつりと途絶えてしまったのと、成長した子供たち自身が自分の人生を選び取ろうとする時期に差し掛かってきたのがもしかしたら同時に来たのかもしれない。森の中での生活を否定はしないけれど、外の世界も見たいと願うようになった長男ボウ。彼の大学受験の手続きを手伝ってくれていたのは入院中の母親だった。子どもたちだっていつまでも森の中に留まるわけではない。外の世界を知りたい、外に出たいと思った時が自立の時かなぁ。学校に通ってないのならなおさら本人自らそう思った時がそのタイミングなのかな、と。でもとても自然でいいなとも。
ノーム・チョムスキーの考えがとても色濃く話に反映されているんだけれど、ごめん、私はそっちは全然知識ないので分からなかった。多分そこを詳しく理解していないとこの映画の本質は見抜けないんだろうな。
劇中、妻のレスリーがどういう人柄だったのかは、もう亡くなってしまっていていまいち掴みにくかったのですが、彼女を火葬して「ママの好きだった歌を歌おう!」って言って歌い出したのが、なんとGuns N' Rosesの"Sweet Child O Mine"!そして遺灰はトイレに流してねっていう遺言を実行した家族みんなが狭い便器をのぞき込んで思わず吹き出してしまうシーン。「バイバミ、マミー!」の言葉とともにレバーを押してじゃあっと流してそれでおしまい。あぁ彼女は本当にユーモアを忘れない人だったのだな、というのが伝わってきてすごく素敵だった。

ラストを見ると彼らはスティーヴに乗って移動することはやめてひとところに留まり、子供たちは学校に行くという生活を選んだようなので、それはそれで子供たちはその先どんな人生を送っていくのだろうと続きを見たかった。
ナミビアに旅立つ長男を見送るベン。アドバイスをいくつかするんだけど、最後は「死ぬな」と。生き続けろ。人生は理不尽なことばかり。でも生きている限り、美しいものを見られたり素晴らしい経験をすることができる。人生はファンタスティック。ベンの生き様をまさしく題名が言い表していると思いました。まだ見ぬ未来に向かって足を踏み出そう、と語り掛けてくれる美しいラストでした。

「普通ってなんですか?」がこの映画のキャッチコピーだけれど、まさしくそれに尽きると思う。
塾に通ったりして一生懸命勉強して中学受験に合格していい学校に行くのも人生の選択肢。でも私は人生にいちばん必要なのは無人島でも生きていけるような生き抜く力を身に着けることかな?("live"というより"survive"のニュアンス)と思っているので。そしてそういう力こそ現代社会において身に着けるのはとても難しいとも。この映画はすごく共感できたし(でもスーパーで万引きはダメだと思うよ!)、何よりベンを演じたヴィゴ・モーテンセンという俳優自身がそういう能力が非常に高い人物だと私は思っているので、もうほんと、この役は彼以外の誰が演じればいいというの?と思うほどにベストマッチでした。もしかして最初から彼を当てて書いたのかなぁ。ヴィゴ自身、多彩な才能があるしきっと他の職業についたとしてもそれなりにちゃんと食べていけるに違いない人ですが、こんな素晴らしい作品を見ると、彼が俳優という職業を選択してくれて本当にありがとう!と感謝したいし、アカデミー主演男優賞にノミネートという形で評価されたことは言葉にできないほどとても嬉しい。

それにしてもあの真っ赤なスーツ!似合ってるのがまたすごい。そしてその赤スーツの中に着ているシャツ。これ「インディアン・ランナー」で着てたものと同じですよね……?(下の写真だと腰に巻き付けているそのシャツ!)



テンガロンハットは多分「LotR/二つの塔」で来日した時にかぶってたのと同じものだろうと思うし。ほんとに物持ちいいねぇ。

「偽りの人生」以来久しぶりにスクリーンでヴィゴを見ることができてうっきうきでしたが(笑)、しっかしこの人なんだかまた若返ってませんか?私の中で三大年齢不詳俳優のうちのひとりだよ(あとのふたりはキアヌ・リーヴスとマイケル・エマソン)。

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新宿ピカデリーで見た布地のポスター(縦が2mくらいある)。これもし家の壁に飾ったらそうとう大きいに違いないですし、物欲じたいあまりない私ですがそれでもこれは欲しいなー!と思った。






ブルー・ジャスミン

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Blue Jasmine (2013)


も、もうなんか見てて主人公ジャスミンの生き方が痛々しすぎて辛い映画だったよ……。
すごくハードな状況を乗り切ってきたのはよく分かる……いや、乗り切ってはないのかな、彼女は。言動は怪しいお金があった頃の習慣をそう簡単に変えることはできないんだよね。それでもどうにかして乗り切ろうと彼女は彼女なりの精一杯の努力をしていると思うよ。なんとかして今の悲惨な状況を変えようとしている姿は哀れでもあり。だから素敵な金持ちの妻を亡くして独り身の男性に出会ったら自分を偽ってでも、どうにかいい方向へと持っていこうと嘘を吐く。そんな彼女は悪いことをしているとは思うけれどでもそれを私は責められない。だって本当に必死なんだもの。
堕ちた自分の姿を認められない。ジャスミンは心の弱い人間だけれど自分はそうはならないと誰が言える?私は強い人間ではないし毎日の生活において現実逃避してる部分も多々あるのでよけいに辛かった……のかな。

ケイト・ブランシェットはもう何にも文句つける部分がないです。なぜどんな役もこなせてしまうのか。怖い。すごい。それでもこの映画ではしわや目の下のクマやはげ落ちたマスカラがリアルで私はこういうの歓迎だな。

妹の彼の友人エディ役にマックス・カセラ。マックス・カセラ!そう、「天才少年ドギー・ハウザー」でドギーの家にいつも窓から入ってくる親友ヴィニー役の人だ!いやー懐かしいです!小柄なラテン系の雰囲気、全然変わってない。思わずにんまりしました。


ブルックリン


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Brooklyn (2015)


ただただみずみずしいの一言に尽きる。そしてそのみずみずしさは全てシアーシャ・ローナンによってもたらされているのと、映画全体のトーンが最初から最後まで落ち着いた静かな川面みたいな雰囲気で保たれた、時折美術館で一枚の大きな絵画を見ているような、そんな気持ちになる映画。
舞台がNYだから、もっと大都会で忙しくて落ち着きのない感じにして、後半のアイルランドのパートと対比する演出になりそうなものなのに、NYもアイルランドも同じトーンで描かれたのがこの映画でいちばん素晴らしい部分だと思った。

アイルランドの、おろさく職もそうなく全体が貧しい小さな町のグロサリーストアで働く女性(16~18歳くらいかな?)、エイリシュ。彼女がチャンスを得たのは、姉の知り合いでNYに住む神父の勧めで海を渡りNYへと向かうのですが。寮に入り、友人ができ、デパートで店員として働き、もっと可能性を広げたいと姉のように簿記の資格を取るため夜間の学校へ通い、と、一歩一歩、小さな歩みだけれど、エイリシュの人生は前へ前へと進んでいって、順調かと思ったその矢先の姉の死。ホームシックになり、姉から届く手紙を抱きしめてベッドの上で泣いてたエイリシュが、段々NYでの日々に馴染んでいったのと比例するかのように、姉の人生は、周りに隠していた持病によってある日突然亡くなってしまったのは、どれだけエイリシュにとって辛いことか。きっと彼女は、いつかお姉さんにNYに遊びに来てほしい、姉にいろんなところを案内したい、とか、アイルランドに帰ったら話したいことがたくさんあるとか、未来や夢がたくさん詰まったことを考えてたと思うのです。そして姉も、たったひとりで旅立った先の新天地で頑張っている妹をずっと応援してたと思うのです。これは本当に辛い……。もうね、最初の方、荷造りをする妹に、もっと素敵な服を用意してあげれば良かった、というお姉さん。そして、あなたのためなら何でも買ってやりたい。でも未来を買ってあげることはできないの、の一言が私はこれでもかというほど突き刺さりました。もう泣けて泣けて。姉は家に残り、母親とふたりきりで過ごす人生。アイルランドを出ることもないだろうと思うと、泣ける以外何があるっていうの。

後半で周りから引き留められてなかなかNYに戻れない、しかも戻る前にトニーと結婚していることを秘密にしているから、これどうなるんだろう、このまま永遠にエイリシュが戻れないまま悲劇で終わるのだろうか!?とハラハラしながら見てましたが、良かった、彼女はちゃんと自分の人生を歩んでいく終わり方でした。そもそもエイリシュは本当にきちんとしているというか、これと決めた道を他人と比較することなくまっすぐに進む女性像で、私はそれが見てて気持ちよかったんだと思う。すがすがしい人生を歩む彼女が、とても好きになったからこの映画が素晴らしいと思えたのね、きっと。

彼女と出会って恋をするトニーもとても好人物で。彼もまたまっすぐな考えの持ち主。だからトニーとエイリシュのふたりって、当時はそれが当たり前なのかもしれないけれど、若くして結婚してるけど、全然不安定だったり心配な部分がなくて。あぁ絶対いい家庭築いていけるなって安心して見ていられるカップルでした。


アイルランドに戻ったエイリシュに好意を寄せるジム・ファレル役にドーナル・グリーソン。いつもの赤毛じゃないから最初気付かなかった。

あとね、この時代にNYに住んでいる未婚の女性は、寮に入る風潮だったんでしょうか?ドラマ「エージェント・カーター」のペギーもそうだったし、デパートの店員がステイタスのある仕事で、美しく姿勢よく、丁寧な接客をする様子は「リリーのすべて」でも見たし、ちょっと不思議な感じでした。「キャロル」でもそうだと聞いたので、近々見てみたいです。


あーそれにしても去年NYであったシアーシャ・ローナンの舞台「るつぼ」、観たかったな~。思い立ったらプライベートジェットに家族全員乗せて好きな行先に飛び立てて毎食お料理出してくれるホテルとかアパートメントに泊まって好きなだけ観光と映画と観劇できるお金がほしいぜ。

ハイウェイマン

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Highwaymen (2004)


年内は、まだ見てないジム・カヴィーゼル映画を一気に消化します。と言ってももうあと3本くらいしかないのですが。

アメリカの広い国土を貫いて延々続く、道の両側に建物がなーんにもない、だーれもいない一本道で、後ろから執拗に追われるとか、じわじわと付けてこられたと思ったらいきなり加速してぶつけられるとか、疾走する車がとらえる地面のアップとか、これとっても「ヒッチャー」(1986)っぽいなぁと思いながら見てたらなんとほんとに「ヒッチャー」の監督の作品でした。びっくり。

音楽や色彩のコントラストが強い風景なんかはけっこう私好みではあったんだけど、何せ論理観がまったく相容れなくて。だってさ、ひき逃げしたファーゴ(コルム・フィオーレ)はもちろん悪いけど、そいつにひき逃げされて妻を殺された私怨で、ファーゴが乗った車を追いかけて減速もせずにその車の横っ面に思いっきり突っ込んで復讐したレニー(カヴィーゼル)も同罪でしょ!

ファーゴがレニーをもてあそぶように、かつて自分がレニーの妻をひき逃げしたあのモーテルに呼び寄せるのは読めましたが、これすっごい趣味悪いよな。しかもさらったモリー(ローナ・ミトラ)にその時の妻と同じ赤いドレスを着せるっていう、いやらしいにもほどがある。
ラストは同じくファーゴを追ってたマクリン捜査官が、息絶え絶えのファーゴを至近距離からショットガンで撃ってとどめを刺すっていう、血も涙もない最後でした。逮捕せずに殺しちゃうんだ!?って。
復讐を遂げたレニーはそのままモリーの前から姿を消す方が良かったかな。亡き妻を思い起こさせる赤いドレスを着ていたとはいえ、この映画に恋愛要素ってそれまで特に何もなかったんだし。

車好きにはたまらん映画だろうなーって思いましたが、それ以外は突っ込みどころ満載。
レニーに衝突されてした大怪我が原因で電動車いすに乗って生活してるファーゴは、ラストのモーテルの部屋はどうやって入ったんだどか(段差あるでしょ段差!)、アメリカのGSはセルフだからあの姿で車から降りたら一発で人目につくだろ、とか。電動車いすは充電も常に必要だしな。
それを言ったらファーゴを2年間追い続けてるレニーも、収入はどこで得てるんだどか(車のメンテナンスってお金かかるよねぇ)、レニーはファーゴの足跡を的確に追うことができるんだけど、いやいやアメリカみたいな広大な土地に使われてない廃屋なんて腐るほどあるんだから、そんな簡単には見つけられないでしょ、とか、特殊な車で街を走ってるから当然マクリンの調べであっけなく足が付くし、もうさ、ほんとどっちもどっちです。車が走る凶器なら乗ってる人もやばい。
もうこのふたりはさっさとスピード違反で取り締まってくださいよ、おまわりさーん!



髪の分け目がぴよぴよしてるのはこの頃からだったのか

ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅

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Fantastic Beasts and Where to Find Them (2016)


ハリー・ポッターと言ったら仕事で本屋にいた時めちゃくちゃ予約を受けまくって、発売当日は売って売って売りまくった思い出しかない…のですがなぜかこの本のことはほとんど覚えてない。あんまり人気なかったのかなぁ。
そして私は読書は好きだけどなぜかファンタジーだけは子供のころから読んでこなかったので、あまり夢を抱くことのない現実的な大人になってしまった。

ということで、この映画もそんなに乗り切れなかった。空想の生き物が出てくるとさらに乗り切れないっていう…ほんと残念な大人だなって自分でも悲しくなってきますが。
ただし、エディ・レッドメインの演技は本当に本当に素晴らしかったです!やせっぽちの体を青いコートに包み、ちょっとばかり神経質でちょっとばかり人付き合いが苦手で、でも動物とは心を通わせることはとってもうまくて。全編エディ・レッドメインのプロモーション映画だった。あの独特な上目遣いに薄い色の目をカメラが何度もとらえてて、これ、ニュートのキメ台詞ならぬキメ表情だなと思いました。

しかし映画自体はちょっとバランスが悪いように感じてしまって。ニュートが逃がしてしまった動物を探すのがメインなんだけれど、終盤はクリーデンスの正体が明かされるのとパーシバル・グレイブスとクリーデンス・ベアボーンの関係とふたりの対決を描くのにけっこう時間を費やしてて、ちょっと主題がとっ散らかってしまった印象が。
あと、グレイブス=グリンデルバルドていうのがラストに明かされたけれど、冒頭で髪の白いグリンデルバルドの後ろ姿のあと、すぐにNYにいる髪の黒いグレイブスの後ろ姿が映って、このふたりは同一人物なんだって分かったから、ラストの正体を明かした部分に特に驚きがなかった…。

そのグレイブスを演じるコリン・ファレルとクリーデンス役のエズラ・ミラー。どっちもファンタジーって感じの役者さんではないと私は思ってたので、このキャスティングには驚いた。エズラはどんな映画に出ても闇が深い感じするな。コリンも悪役顔なので、そう考えるとこの映画でのキャスティングも案外ぴったりなのかもしれない。
あとグレイブスの着るコート(?マント)の造りがめっちゃくちゃ凝っててものすごいおしゃれだった。