CODA (2021)
原題、全部大文字なので、音楽用語ではなく"Child of Deaf Adults"に重心を置いた話というのが読みとれる。
印象的なシーンが3つあって、ひとつは合唱部の教師、通称V先生から今の気持ちを表現してみるんだ、と言われたルビー(エミリア・ジョーンズ)。うまく言えない彼女はもどかしさのあと手を動かし、心の内を現して伝える。ルビーは生まれてからずっと、言葉よりも手話に重きが置かれた人生を送ってきたきたことがよく分かるシーンでした。卒業後の進路を問われて「勉強、あまり好きじゃないし」と答えていたけれど、たぶん漁に出るために3時起きで授業中は眠くてしかたないだけじゃなく、感情を言語化する機会が少なかったので成績が芳しくないのかなと思いました。
ふたつめは、合唱部のコンサート。部員のなかからデュエットに選ばれたルビーとマイルズが、ステージ上で息の合った美しい歌声を披露するのは物語のなかでもハイライトとなるシーンだけれど、ここですべての音を消して、客席に座るルビーの両親と兄、聾啞者の現実を観客につきつけてくるのは衝撃でした。頭を殴られたようなショックを受けた。
なにも聴こえない。皆が楽しんでいるものが自分たちにはわからない。周りの観客の反応を見て、どうやら娘の歌声は素晴らしいらしい、と推測するしかない。拍手やリズムのタイミングがつかめない。私たちからはそう変わりなく見えても、彼らはまったく別の世界にいることを知らしめるのにじゅうぶんな数分間でした。
そしてみっつめは、バークリー音楽大学でのオーディション。彼女が歌ったのはジョニ・ミッチェルの「青春の光と影」。入場禁止のオーディション会場の二階席にちゃっかり忍び込んで様子を見に来た家族に向かって、彼女は手話で歌詞を表現しながら歌を歌う。彼女にとってはそれがいちばん自然で普通の姿。
ルビーの人生に手話と歌、どちらも大事で切り離せないもの。なぜならそれらは家族に直結するものだから。物心ついたときから家族の通訳をつとめてきた、ヤングケアラーのルビー。でもこれからは自分の人生を送りたい。自立のときが来たのですね。両親もまた、今までずっと娘(の通訳)によって健常者とつながってきたけれど、もう手を離さないといけないときが来たことを知る。組合を立ち上げ、他の漁師の妻たちと作業をするときのジャッキーの不安そうな表情。みんなの会話に入っていけない彼女の心情が痛いほど伝わりました。
見事大学に合格し、ルビーの旅立ちを見守る両親。出発前の娘に父親がかけた言葉、"Go."(行け)。ここだけ「声」で表現されるの、猛烈に切なくて。
後半は泣きっぱなしでしたが、若者が新天地に向けて旅立って終わる物語は清々しくて、心洗われる映画でした。あまりに素敵で、この気持ちを花にたくしたくて、帰りにお花屋さん寄ったよ。
キャストがみな素晴らしくて。アカデミー賞にノミネートも納得。ルビーとデュエットの練習をするうち心を通わせるマイルズ役が、「シング・ストリート」のフェルディア・ウォルシュ=ピーロって、もうこれ以上ない最高の配役です。ルビーの才能を見出し、ルビーを熱心に指導するV先生は、もしかしたら自身が苦労してバークリーへ入学・卒業したので、才能がある生徒にはその場所にとどまらず大きく羽ばたいてほしいのかもしれない。とても熱い心を持った先生でした。演じるエウヘニオ・デルベスが素晴らしかったです。
ルビーたちの漁業仲間にケヴィン・チャップマン。あのちょっと畳みかけるような早口な話し方、ひさしぶりに、それもスクリーンで聞けて、なんだかとても嬉しかった。
観ていて「陽のあたる教室」(1995)をちょっと思いだしました。
オリジナルの「エール!」も近々見てみよう。
ルビーの自宅がとってもコージーで温かい雰囲気が素敵。先生の家はもう少しスタイリッシュで、壁の色も暗く深い色が多くておしゃれ。間取りとインテリアじっくり見て回りたい。
あ、そうだもういっこ! 娘を車で迎えに来たお父さん、大音量の音楽に合わせて手話でラップしてたよね!? あれすげぇなってなりました。