帰る家(home)があるということ (帰郷)



Coming Home (1978)

ヴェトナム戦争中の反戦映画。と言っても、声高に反戦を叫ぶのではなく、静かに訴える内容でした。
「真夜中のカーボーイ」、「オデッサ・ファイル」と、今まで私が見てきたジョン・ヴォイドの印象は、年の割りにけっこう童顔で、失礼ながら、「か、かわいい」などと呟いておりましたが、この映画は、負傷兵として帰還するも、半身不随で入院中という設定。荒れに荒れている形相がその2作品とはまったく違って驚きでした。

劇中でははっきり描かれてはいないけれど、ルーク(ジョン・ヴォイト)が自分の今ある状況、もう二度と歩けない身体を受け入れるにはそうとうな葛藤や怒りがあっただろうけれど、それを受け入れた後であろう彼は、静かに、しかしはっきりと、戦争の無意味さを世に問う。亡くなった友を弔う為に海軍訓練所のゲートに自分と車いすを鎖で繋いだ行動は、彼にとっては抗議ではなく、あくまで弔い。

これから軍に志願しようとする若者たちを前に、戦争は何も生み出さない、と訴えかける彼には強い力が確かにあった。そしてそのシーンで映画が終わるのは、この映画を見終わった後、戦争とは、と考えさせるのに十分な説得力があった。だから、彼のアカデミー賞受賞はうなずけました。

実はね、手入れされてないバサバサの金髪、静かに訴えかける姿が、んん〜?これってすっごいヴィゴに似てる、と思ったのでした。顔かたちの作りじゃなくて、醸し出す雰囲気がね、本当によく似てました。


原題は"Coming Home"。ルークはサリーを通じて、生きる意味や自分の場所を見つけることが出来たけれど、サリーの夫は、戦争から戻ってきたら、妻の心は離れ、自分の家とは呼べる所がもうなかった。帰るところがない彼は、最後死を選ぶしかなかったのだろうか。そうすると、いかに「家」(この場合、"House"というよりは"Home"の意味合い)が人の心に大きな影響を投げかけるか、を表していたのでは。
サリーもルークもサリーの夫も、誰もがみな程度は違いこそすれ、戦争の犠牲者なのだろう。


反戦がテーマではありますが、けっこう恋愛色も強く、見る人によっては甘すぎ、と感じるかもしれません。でも私は、障害者と健常者の恋愛や性がちゃんと描かれてたから、これは非常に満足。サリーを自宅に誘ったルークが、バスルームから出てきた時の裸の姿がなんと美しかったことか。ちょっとこれは、心打たれました。
彼の葛藤や愛したいという欲求が、あの姿に込められていたように思えて。

蛇足ですが、ルークの怪我は、背中の手術痕を見る限りでは、Th10〜12、あたりでしょうかね?腹筋はけっこうあるようだしね。
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