ザ・ドア 交差する世界

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Die Tür (2009)


マッツ出演作品が続きます。
先見の明がない私にしては珍しく青田買いした俳優で、マッツの映画は初めて見たのが「しあわせな孤独」(2002)なのもあり、私はハリウッドの大作に出るより北欧の白っぽい淡い光の中で母国語を話すマッツが好きなんだと思う。そういう意味ではこの映画の彼はとっても魅力的だしお話自体もなかなかの掘り出し物でした。つまりとても面白かった。

浮気の最中に一人娘が自宅のプールで溺死したことで、妻ジアとの溝が深まって酒に溺れる日々のダヴィッド(ミケルセン)。ある晩酔って転んだ拍子に妙な空間とその先につながる不思議なトンネルを見つけ、その先へと足を進めると、5年前の娘を亡くす直前の時間に戻ることが出来、無事に娘を助けられるんだけど、自宅にひとりでいるところに過去の自分と鉢合わせして、しかも彼を不審人物だと思って誤って殺してしまうんですね。なので5年前の自分の身分を乗っ取るような形になってそのまま生活を続けるも、どうやら未来から来て過去の自分を殺して自分が本人に成りすます者が他にもいることで成り立っている世界、というのが他のタイムスリップものと一線を画すのが面白かった。

娘を自分の元に置きたいのは過去に存在するジアも未来から来たジアも気持ちは同じ。さらに未来のジアは過去の自分を殺そうとしていて。そんなふたりが娘を真ん中に挟み対峙するのだけど、未来のジアは最後娘の手を放し、未来の自分に「逃げて」と言うのですが。未来からの自分は「本当の自分」ではないことをジアはよく分かっていたんだと思う。だから偽物ではなく本物の幸せを手に入れられるのは自分ではなく本来の自分である過去のジア。

過去と未来で同じ人物がふたりいるのだけど、カテゴリこそSFだけど、ダヴィッドも妻のマヤも、あの時もしこうしていれば、という後悔があり、よりよい人生を送りたいと望んでいるのにそうではない現在。そこにいびつな形で現れた、やり直すチャンスに飛びつくのはよく分かる。だから過去に残された未来から来たダヴィッドとジアが、かつて娘がおぼれ死んだプールのそばで座り、お互いの手を握るラストはいい終わり方でした。決して明るくはないんだけど、トーンが私好み過ぎて好きだー。

隣人のシギーを車のボンネットに乗せたまま壁に突っ込んだことで、その先にあった、過去と未来を行き来できるトンネルは崩れ去り、もう誰も行き来できなくなるのもうまい終わり方だなと感心でした。直前にそのトンネルをくぐっておそらく5年後の世界に逃れたであろう過去のジアと娘のレオニーは5年後の世界で生きていくんですよね。その世界にはダヴィッドもジアもいないので、ジアが2人存在するという矛盾もないし、これすごいよく考えられているとは思うんですが、思うに過去が積み重なって出来上がってる未来の自分が過去に来て自分を殺したらその未来の自分もその瞬間消滅してしまうのでは?自分という時間軸は1本しかないのに?といっつも疑問なんだよなー。


この映画のマッツは前髪が長くて目にかかってるので、その髪は鬱陶しくないのかと疑問に思いつつもだがその前髪がいい!とよく分からない矛盾したこと言ってますがつまりとてもかっこいい。


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